あの時、北海道にいた

 

2018年9月6日、北海道で地震が起こったとき私は北海道にいた。

 

私がこれを書こうと思ったのは、地震発生時は北海道にいたが「観光客だから」と北海道に住む人たちが不便な生活をしているのに何もできず帰ってきてしまったことが心苦しくて、今の私にできることは記録として残しておくことだと思ったのと、今回経験し感じたことを自分の中だけにとどめておくべきではないと感じたからである。 

 

私が経験したことをあの時のひとつの記録として読んでもらえたらと思う。

 

 

※過去に被災された方で被災の経験談などを読むと気分が悪くなる可能性のある方は自己責任でお読みいただけますようよろしくお願いします。

 

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地震が起こった時には寝ていて、揺れている感覚と緊急地震速報の音で目を覚ました。

 

地震の状況と津波が来るかの確認のためにテレビをつけ、震度と津波の心配がないことが確認できたのでテレビを消した。

 

停電は地震が来てすぐ起こったのではなく、10分ほどは電気が使えた。

 

幸いにも私たちが宿泊していたホテルは非常用電源が備わっているホテルだったのか、停電しても部屋の電気はついた状態だった。

そのため停電した瞬間ははっきりわからないが、充電器に挿していたスマホが触っていないのに画面が明るくなった瞬間が今思えば停電した瞬間だったのかもしれない。

 

 

私の宿泊していたホテルのある地域に通電が再開したのは、地震発生から約1日後の7日午前4時頃だった。

その頃には切れそうになっていたスマホを急いで充電した。

電気がこんなにもありがたいものなのだと実感する機会は初めてだったし、今後も起こってほしくない。

 

 

  • 街の様子

6日の午後はホテルから外に出て街を歩いた。

 

店はほとんど閉まっていて、「停電のため本日臨時休業」の張り紙が扉に貼られていた。

交通手段が限られている中で店の臨時休業を知らせる張り紙を貼りに来るのは大変だっただろうと思った。

 

空いているコンビニには人が殺到し、開きそうなコンビニには店の前に列ができていた。

それだけでなく、開いてなく開く気配もなさそうなコンビニの前にも列ができていた。

 

コンビニの開店は開店時間がバラバラだったことからおそらく各店舗の判断なのだと思う。

開店して時間が経った店に入ると、モバイルバッテリー、そのまま食べられる食品(パンやおにぎり、弁当類やスナック菓子など)、水やお茶(緑茶などの砂糖が入っていないもの)がなくなっていた。

飲み物は種類を選ばなければ購入することができた。 店によっては牛乳も置いてあるところもあったが、扉のない冷蔵庫にあったため停電から数時間経っていることが心配だったのと、購入しても長くは持たないから数時間以内に飲み干さなくてはならずそれができないと思ったので、このあと破棄されるしかない牛乳をもったいないとは思いつつ、そのままにしてしまったのは心が痛かった。

 

停電しているので店内は暗いし、会計時には現金しか使えない。お釣りは出ないようでレシートはなかった。バーコードの読み取りはPOSの子機でやっているようで、子機の充電が切れればレジが終了していった。

 

制服を着て接客をしているコンビニもあれば、私服で対応しているところもあった。

私服で対応している人の中にはコンビニでの対応に慣れてなさそうな人もいて、店員の知人か近所の人かもしれないと思った。自分たちも被災者であるのに、店を開け接客をしているのには本当に感謝しかなかった。

 

 

信号は点灯しておらず、交通量の多い交差点には警察官がいて交通整理していたが、ほとんどの交差点には警察官はいなかった。

 

小学校に入ってすぐの交通安全の授業で習った「横断歩道を渡るときは手を挙げて渡りましょう」がこんな形で役立つとは思っていなかった。

 

 

  •  情報難民

今回、私が最も困ったことは情報が全く入ってこなかったことだった。

 

停電しているため備え付けのテレビは見られない。スマホワンセグも試してみたが電波を受信できず見ることはできなかった。

電波がうまく受信できないことが多く、その上バッテリーの限度を気にしなければならないためネット検索はほとんどできなかった。

新聞を買うという手もあったが刻一刻と変わる状況を得るのには向いていなかった。

  

情報を得るほとんどの手段をなくしたと思っていたが、ふとした時に情報を得る手段がもうひとつあることを思い出した。ラジオである。

 

私が今回情報集めのために最も活用したはラジオだった。さすがに単独のラジオは持ち歩いていなかったが、WALKMANにラジオが搭載されていたのでそれを活用した。

 

  

今回北海道に行くことはほとんど周りには言っていなかったため、私のところに安否確認の連絡は来なかったが、一応LINEのステータスメッセージには無事であることと連絡しないでほしいことを書いた。また、家族には連絡が来る前にこちらから無事であることを伝えた。

 

 

  •   空港

 私は7日の午後の便で帰る予定だった。

地震発生した6日は全便欠航でそれ以降は未定とされ、出発の数時間前にならないと運行するのかがわからないという状況で眠った。

翌朝目覚めるととりあえず搭乗予定の便の欠航予定はなかった。(この時には通電が再開し電波がつながりやすい状況になっていたのでネットで調べられた。)

 

しかし、電車もバスも動いていないので移動手段はタクシーしかなかった。

 

考えることは皆同じで、タクシーを呼ぼうにも電話はつながらないのでタクシー乗り場に向かうしかなかった。

 

2時間待ちともいわれていたタクシー待ち列だったが、思っていたより頻繁にタクシーが来ていたので1時間かからずに乗ることができた。

 

タクシー待ちしている間に相乗りしないかと声をかけている人をたくさん見かけた。

また、聞こえてきた会話の中にはフェリーで帰ると言っている人もいた。

 

 

なんとか到着した空港にはものすごい数の人がいた。コンビニにはかなり長い列ができていた。

 

7日の昼頃の時点では手荷物検査場より外の土産物店は全て閉店していた。

 

一方、出発ロビーの土産物店は営業していた。

他ではお土産を購入できなかったからなのか土産物屋には長蛇の列ができていた。

 

売り切れの商品もあれば、前日の停電の影響で販売できなくなってしまった商品もあったようで何も置いていない棚もあった。

  

 

  •  今回感じたこと

 「旅行先で自分が被災するとは思っていなかった」というのが今回の私の素直な感想である。

自宅では災害時に備えて食料や道具を揃えているが、普段とは違う状況で被災する可能性は考えていなかったのでとっさに行動を起こすことができなかった。どこにいても対応できるような備えや心構えが必要だと感じた。

 

また、今回電気の大切さを身をもって知った。室内にいても外に出ても電気がないとできることはかなり少ない。生活するのにどれだけ電気を使っているのかを考えさせられた。

 

今回最も大変だったのは情報を集めることだった。

普段情報を集めるのにはネットを使っているのでそれができないのがとても不便だった。電波がないのでネットが開けず、繋がったらバッテリーの残量を心配しなければならなかった。

私が今回最も活用していたラジオもずっと災害情報を流してくれている番組はなく、色々な局にチャンネルを変えながら情報を集めなくてはならなくて苦労した。

 

 

今回の震災で普段の生活がどれだけありがたいのかを実感した。

今後、このような災害が起こらないよう願ってはいるが、願っているだけではいられないので今回経験したことの反省を活かしきちんとした対策をしていきたいと強く思った。

 

 

 

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【持っていて役に立ったもの】

 今回私が持っていて役に立ったものを挙げておく。

  •  モバイルバッテリー
    店から無くなる最も早いもののひとつ。常に持っておくと安心。
  • ラジオ
    単独のラジオは持ち歩いていなかったので、WALKMANについているラジオを使用した。今回、情報を得るのに最も役に立った。今後、買い替える時はラジオがついているかを購入の基準にしたいと思った。
  • ソーラー発電のライト
    私が持っていたのは、小型のキーホルダーになっているもの。土産物屋にも売っている。
  • 現金
    店が開いてもカードやICは使えないので現金は多めに持っているとよい。また、おつりが出ないようだったので小銭を持っていることも大事。
  • 食べ物
    店から無くなるのが早いもののひとつ。店から人が引く頃に残っている食べ物はおつまみ系やグミなど。
    1度に食べられる量は少ないが、お腹の空く頻度は高い人間なので常に何かしら食べ物を持ち歩いている。今回持っていたのはカロリーメイトクリーム玄米ブラン。今回はそのふたつに手を付けずに済んだが、持っているのと持っていないのでは心の余裕が違うと思った。

 

 

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拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。